ディスコホールウチダへようこそ!!

時速300km 時を忘れて 君と踊る世界 揺れたままで 来ない朝を願う 揺れるDISCO!!

世界の少年たち。

大分ー。大分ー。

 

ゆっくり温泉に入りたい。

 

子供いると温泉ってゆっくり入れないんですよねー。

 

ゆっくり入りたいなー。

 

どうも。こんばんは。

 

 

 

1月15日のブログの最後に書きましたが。

 

今日は木山監督を偲んで。

 

ちょっと過去の思い出を書かせて頂きます。

 

 

やっくん以外はワールド???何それ???

 

って思ってると思いますので今日のブログはスルーしてください。

 

宜しくお願い致します。

 

 

 

僕が大学3年生の頃ですね。

 

忘れもしない。なぜならその日は僕の実家。

 

つまり。当時住んでた実家が建替えの地鎮祭だったから。

 

 

大学生の頃なんて朝全く起きないじゃないですか。

 

特に僕は音楽やってたし。

 

1年生の頃なんて最初に取った単位は9だったしで。

 

ぜーんぜん学校に行かないわけで。

 

朝なんて起きるわけがない。

 

確かその日も。

 

深夜2時とかまでリハしていて。

 

帰って風呂入ってなんなりすると寝るのは朝4時とか5時。

 

でも。その日は地鎮祭だから早起きして。

 

8時とか9時とかから地鎮祭に出てたわけです。

 

 

すると。やたら携帯が鳴る。

 

バイブにしてる携帯が鳴る。やたら鳴る。

 

地鎮祭(30分くらいで終わるから)が終わって。

 

携帯を見てみたら。

 

岩田君から鬼のような電話の数。

 

何事かと思って電話を返したら。

 

岩田君が少年野球のコーチをやっていて。

 

その練習なんだけど。

 

コーチが全くいなくて練習にならないから。

 

ヘルプに来てくれ。

 

と大倉君と僕に電話が来てました。

 

 

で。グローブないけど・・・。

 

って言ったら俺が(岩田君)が用意するから大丈夫だと。

 

野球の服なんて持ってないけど・・・。

 

そんなの何でも良いよ。サッカーの格好で良い。

 

というので。

 

多分。その時まで岩田君が少年野球のコーチをやってるなんて知らなくて。

 

↑岩田君が野球を頑張ってるのは当然知ってる。

 

とりあえず。

 

地元の小学校に急いで向かいました。

 

 

その日。

 

本当にコーチがいなくて。

 

岩田君と木山監督とあと1人くらいしかいなくて。

 

それで6学年見なきゃだから。

 

大倉君と僕がいきなりHELPで入ったわけです。

 

 

で。いきなりサッカーの格好をして。グローブも持たない若造が来たのに。

 

ハジメマシテの木山監督は満面の笑みで。

 

ありがとうね。と迎え入れてくれて。

 

子供たちのお母さんまで。

 

岩田コーチのお友達ですか?本当にありがとうございます。

 

みたいな感じで。

 

めっちゃ頭下げられて。

 

これは岩田君の人望だなー。なんて思ったのを今でも覚えてます。

 

 

それまで。野球なんてやったこと1度もないわけですけど。

 

頭は悪いけど。運動神経だけは持って生まれた僕なので。

 

岩田君も驚きのレベルを見せまして(笑)←普通キャッチボールもままならないらしい。

 

その日を終えました。

 

 

また来てくださいね。なんて言われて。

 

当然。こんな朝早いの行けるわけないわ。

 

って思ったら。

 

これも運命ですね。

 

当時。家を建て替えてるので。

 

その小学校のすぐ近くの借家に偶然住んでいたら。

 

これまた偶然。

 

お調子者の石田君という男の子が目の前の家だった。

 

で。

 

来週も来てね。迎えに行くから。

 

なんて小5の石田君が言うので。

 

いいよー。なんて適当に答えて。

 

1週間後。

 

マジでピンポンが来て(笑)

 

当然。忘れてるから寝てる俺。

 

そこからですね。

 

毎週早起きして少年野球のコーチになったのは。

 

 

で。最後の最後まで。

 

僕も超本気でコーチしましたよ。

 

土曜とか日曜の練習だけじゃなくて。

 

毎朝。朝練とか言って公園での子供との練習に付き合ったし。

 

平日の午後。普通に子供から電話来て。遊ぼう。

 

とか言われるから。

 

バイトの時間まで。

 

バットとグローブ持って来い。なんて言って。

 

公園でキャッチボールしたり。

 

バッティングセンターに連れて行ったりしました。

 

 

ただね。

 

僕はやっぱりサッカー人のプライドみたいなのがあって。

 

最後の最後までサッカーの格好でずっとやってました。

 

 

当然。

 

野球のことは岩田君が言ってたこと以外絶対に口には出さないようにして。

 

僕は集合のときに走って来なかったり。

 

挨拶が出来てなかったり。

 

声が小さいとか集中してないとか。

 

そういう時には怒鳴りまくりましたが。

 

他は口を出さないし。一緒に走ったり。まぁ。そういうことをしてました。

 

あっ。いちおう全てのお母さんたちに言われたのは。

 

どの子供よりも僕が1番上手(野球が)になったと言われました(笑)

 

 

さて。

 

まぁ。でもそれって言い換えれば。

 

野球を自分から教えられないコーチなわけで(当たり前だけど)

 

まぁ。僕はにわかが適当に教えて。

 

監督や岩田君が教えてることを邪魔したくないからなんですけど。

 

でもね。コーチとしてのレベルなんてスライムみたいなもんです。

 

 

それでも。

 

最後の最後まで木山監督は僕に文句なんて言ったことは一度もないし。

 

いつもありがとうね。って感謝してくるし。

 

岩田君が休んでいない日。

 

僕に任せてくれるし。僕のやることに意見すら言わないで。

 

マジで神様のような器の広さでいつも受け止めてくれました。

 

 

何度も書いてますが。

 

ワールドボーイズってめちゃくちゃ弱くて。

 

もうビックリするくらい弱くて。

 

練習試合を入れても。

 

年に1回勝てるか勝てないか。勝てたら焼肉だ。

 

みたいなチームだったんですよ。

 

僕が最初に行った頃。

 

小5小6に岩田君が教えてたのは。

 

野球ボールをボーリングのように転がしたのを捕る練習ですよ。

 

そんなのうちの2歳児とかか?ってレベルですよ。

 

でも。そこから徹底的に鍛えて。

 

↑ちなみに初めて見に行った練習試合は3回で2対20くらいのコールド負け。

 

最後は5つの大会のうち3つの大会でメダルを取って。

 

コールド勝ちを連発するチームになりました。

 

 

でね。そんだけ弱かったワールドを強くしたのは岩田君なんですけど。

 

でもね。

 

最初。大学生のあんな若造に任せて。

 

木山さんも終わりだな。みたいな言葉がかなりあったそうです。

 

 

岩田君って思ったことを口にしてしまう彼が。

 

監督に自分に2年間やらせてください。ってお願いして。

 

それを了承してくれた木山監督の器のでかさね。

 

で。

 

周りから何を言われてもブレずに岩田君に任せきって。

 

結果。激変したワールド。

 

おかげで練馬区の少年野球チームの半分くらいが若いコーチに切り替えたんですよ。

 

これ凄くないですか?

 

つまりね。

 

岩田君もスゲーけど。

 

受け入れた木山監督が凄くて。

 

で。当時。岩田君と飲むと必ず岩田君が言ってたのが。

 

監督が木山さんじゃなきゃこんなの絶対にありえなかった。です。

 

 

それだけ。監督の器のでかさは凄かった。

 

毎年必ず年賀状返してくれるし。

 

超人徳者。

 

 

改めて。

 

木山監督。ご冥福をお祈り致します。

 

数年前かな?

 

癌になったとは聞いてましたが。

 

でも。手術成功したとか。

 

ワールドに復帰したとか。

 

色々聴いてましたが。

 

お疲れ様でした。

 

そして。ありがとうございました。

 

 

ゆっくりお休みください。