大きく悩むとは。
4月末は耕太の命日ですね。
もう12年ですか。
あっという間ですね。
25歳だった僕は。
37歳になりました。
何か変わったのかな?
何が変わったのかな?
あの頃の僕は。
どうだったんだろうか?
そんなことを思います。
どうも。こんばんは。
コロナ鬱。
という完全なる理解不能な言葉が。
僕の中で妙に引っかかるので。
ちょっと。不安について考えてみました。
今日は。不安についての考え方についてお付合い下さい。
僕にとっては理解できなかろうが。
今の時代。
メンタルで病んでる人ってかなりいるわけです。
これは。
日本だけの問題ではなくて。
世界的に見てもそうだし。
普通に僕の周りにもいるわけです。
なので。
僕が理解できる。理解できない。
なんてことは一旦置いておいて。
悩まなきゃいいじゃん。
ってのが理解できない人もいるだろうな。
ってことで。
悩むことは絶対に外さないという状況で。
じゃあ。その今抱えてる自分に対する悩みを取っ払うには。
どうしたらいいだろうか?
ってことをちょっと考えてみました。
んー。なんか違うか。
悩みが消えない人って確実にいるから。
そういう人はじゃあ。
どうにもならないのか?
ってことじゃなくて。
そんなの自分でどうにかしろよ。
寝てスッキリ忘れろよ。
ではなく。
そういう人がもし。このブログを読んでる中にいたら。
優紀や子供がそうなったら。
岩田君や長田君や大倉君がそうなったら。
僕は何て言ってあげられるんだろう?
なんてことをちょっと考えてみました。
で。僕が想ったのは。
悩みが消えないなら。
自分に向いてる悩みの方向を違う方向の悩みに変えてしまえばいいんじゃないか?
ってことなんですね。
で。その為には。
悩みの種類を大きくする。
これをすればいいんじゃないか?
なんてことを考えております。
どういうことかもうちょっと詳しく書きます。
例えば。
何でも良いのですが。
鬱を発生するような悩みって。
多分。自分に関することだと思うんです。
今回のコロナ鬱も。
世界中がコロナになってしまって不安だ。
それで鬱になるわけじゃないと思うんです。
コロナで自分の仕事がなくなってしまったらどうしよう?
とか。
自分もコロナにかかってしまったらどうしよう?
とか。
自分に対しての悩みだから不安で仕方なくなるわけですよね?
つまり。
自分への悩みって。
自分という個人単位の悩みなわけじゃないですか。
だったら。
もっと大きく。
自分の部署の悩み。
もっと大きく。
会社としての悩み。
もっと大きく。
地域の悩み。
もっともっと大きく。
日本としての悩み。
もっともっと大きく。
この時代で生じる悩み。
多分。
コロナが世界中に蔓延してしまってるこの感染を止める方法に。
頭を悩ましてる人は。
鬱病なんかにならないですよね?
自分じゃなくて世界を救おう。みたいなマインドになってるので。
うちの会社のここが問題だ。
じゃあ。どうしたらもっと社会貢献できる会社になるだろうか?
どうしたら社員がもっと愛社精神を持ってくれるんだろう?
なんて悩んでる人だったら。
社員の愛社精神が無さすぎて。
もう夜も眠れない。
なんてならないですよね?
悩みの単位を大きくすればするほど。
自分の悩みなんてどこかに吹っ飛んでしまうと思うんです。
凄い極端なことを言うと。
例えば。
今日は1日。子供と何して凄そう?
外にも出れないし。
昨日はこれをしたし。
毎日同じじゃ・・・。
自分は親として何ができてるんだろうか?
なんて悩んでる最中に。
会社から連絡がきて。
自分の部署でこんなトラブルが発生してしまった。
なんてそれを解決しなきゃいけない。
となったら。
単位がでかいそっちの悩みを解決しようとすれば。
自分が親として何ができるだろうか?
なんて考えは吹っ飛びますよね。
悩みが消えないなら。
もっと大きく悩む。
もっと大きなことで悩む。
そうすれば。
矢印は自分に向かないじゃん。
ってそんな考えに行きつきました。
まぁ。僕の考えがどうかは置いておいて。
考え方によっては。
色んな意見って出るし。
なるほど。そういう考えもあったかー。
なんことってたくさんあると思います。
自分とは違う視点って大事ですよね。
まぁ。違う視点を持ってみると。
また面白いっす。
ってことで。
今日も読んでくれてありがとう。
願えば叶う。
さぁ。今日も楽しくいきましょう。